Missionphase -3


 
 真紅と黄色と白黒。色とりどりの戦衣を纏った乙女たちが底の見えぬ地下深くに突入してから、地上の時間で20分ほどが経過しようとしていた。
 妖魔ブリードの下僕と戦乙女たちが激戦を開始したころ、『封印樹』を前にして取り囲んだ4名になんらの変化も起きてはいなかった。
 ゴキュ・・・ゴキュ・・・
 人里離れた樹林の奥地に響くのは、蔦触手が戦士たちの聖霊力を嚥下していく吸引音のみ。
 両肩に吸い付いた極太蔦が片時も休むことなく、少しづつ少しづつ己の生命の力を吸い取っていくのを感じながら、ナイトレミーラはじっと無言で耐えていた。
 
“・・・そろそろ、戦闘が始まった頃かしら?”

 『封印樹』に霊力を奪われているのは大地の聖霊騎士ひとりではない。
 青、黄、紫の仮面をつけた白黒装束の巫女戦士たち。アザミの部下である『闇巫女』、アヤメ・キキョウ・スミレの3名も同じように巨木の蔦触手に両腕を絡まれながら、霊力を注ぎ続けている。地下異次元に突撃したアザミらが戻るまで、4人は結界の扉が閉じることのないよう、エナジーを『封印樹』に捧がねばならないのだ。
 
“計画では私たちの力が続くのは2時間、残り1時間40分弱・・・大丈夫、きっと玲子さんたちはブリードを排除して還ってくる”

 一切の曇りのない瞳で、プラチナブロンドの翠玉の騎士は不気味に蠢動する『封印樹』を見詰め続けた。
 
 
 
「ええいッ、もうウジャウジャと!」

 真紅のロングソードが乱流のごとく荒れ踊る。聖剣スカーレット・アイリスを手にしたナイトレフィアの豪胆かつ正確な太刀筋は、縦横無尽に振るごとに妖魔の群れを死滅させていった。
 蔦に覆われた人型のイレギュラーと、地から伸びてくる意志を持った根。
 数を確認するのが呆れるほどの大群が、上下左右、あらゆる角度から押し寄せる。地下異次元での死闘。潜入した3名のファイターに、妖樹の王は必殺の意図を込めて全戦力を傾けてきた。巨大な敷地を埋め尽くす、植物型妖魔の群れ・・・50mほど先で天を衝く巨大樹が、高見の見物を決め込んだように退魔師と己の下僕との戦闘を見下ろしている。
 
「所詮ザコよ! 何匹束になろうと、アリサには敵わないっての!」

 軽やかな切断音がこだまとなって響き、細切れになった妖魔の肉片が風の余波を受けて散り散りに流れていく。
 ポニーテールの少女の周囲には、風が刃となって幾重にも取り囲んでいた。オメガカルラの風の技。近付くものは全て、檸檬色のスーツに触れることすら許されず切り裂かれていく。殺到する魔人の津波が、カルラと、そしてレフィアの周りまで来てぶっつりと遮断されている。
 
「レフィア! カルラ! 準備は整ったわ!」

 異次元の空間を切り裂く、『闇巫女』アザミの声。
 レフィアとカルラの後方で待機していたアザミの足元に、五芒星と梵字で構成された漆黒の巨大魔法陣が浮かび上がっている。巫女の気合一閃、魔法陣は一気に敷地全体を埋め尽くすまでに広がった。
 
「悪鬼浄化!」

 光のシャワーが大地から噴射される。
 耳をつんざく悲鳴と絶叫、そして緑でできた肉体が魔の力とともに滅せられる音。
 『闇巫女』の聖なる力による呪術で、埋め尽くした妖魔の大群は一瞬にして元の闇へと還っていく。
 
「へー! やるじゃん、アンダー・メイデン!」

「カルラ、来るわよ!」

 ボコッ! ボコボコボコッッ!! ボココッ!
 
 都合6つ。ブリードの真下から何かが地中を潜り進んで、3人のファイターに向かってくる。盛り上がる、硬い大地。ブリードから戦乙女へ、放たれた6本の弾道が土の地面に描かれる。
 
「なによ、アイツ?! さっきの攻撃効かなかったってのッ?!」

「ブリードにあの程度の呪術は通用しないわ! 気をつけて、恐らくはヤツの『根』の攻撃よ!」

 地を掘り進む巨大なミミズ跡が、退魔戦士の直前にまで一気に迫る。
 仕掛けるか、ブリード。巫女装束の和風美女とポニーテールの勝ち気な美少女が、その容貌を緊張で強張らせる。

「ヴォルカーノンッッ!!!」

 ザッという大地を踏みしめる音。
 頭上高く掲げた両手に真紅の長槍を握り、ブリードの攻撃の矢面に立ち塞がったのは、火焔の聖霊騎士ナイトレフィアであった。
 スカーレット・アイリスと並ぶもうひとつの聖武具・ヴォルカノン。全長約3m、刀身のみで1mをゆうに越え、さらに半月状の刃が十文字を形成するように組み合わされたこの長槍は、突くだけではなく斬る・叩く・払う・捻るなど、あらゆる使い方で効果を発揮する。その堂々たる威容は、150名を越える在籍者がある『FK』のファイター内でもナンバー1の攻撃力を自称するレフィアを象徴するかのようだ。
 炎斬一閃??。
 ヴォルカノンを大きく振った火焔の騎士は、大地まるごと6つの地中の弾丸を一斉に断絶していた。
 
 グバアアアアッッ・・・!!!
 
 土煙を撒き散らし、大地の中から6本の褐色の『根』が飛び出す。
 芋虫を想起させる、太くグロテスクなブリードの『根』。
 6本全てキレイに先端を切り取られた『根』が、その白い断面を覗かせてグネグネと暴れのたうち回る。
 
 ブジュッウウッッ!!!
 
 何かが吐き出される。6つの何かが。
 それぞれ2つづつ、3人の聖戦士に向かって吐き出されたそれは、粘液にまみれた人間の形を取っていた。
 
「えッ?! こ、これって・・・!!」

「構えて、レフィア! ブリードの下僕と成り果てた・・・前回討伐チームの『闇巫女』よ!!」

 色とりどりの仮面を被った、白黒装束の巫女戦士???。
 その皮膚はところどころ剥がれ、肉は削れ、骨すら見えている箇所もある。闘い敗れ、妖樹に種を植え付けられ、生前の戦闘能力はそのままに、従順なる魔の家来として死滅した肉体を駆り立てられる哀れな巫女たち・・・澱みない殺意を抱いた元退魔師のイレギュラーが、仲間であった者たちに牙を剥いて殺到する。
 
「風太刀・鈴鳴りッ!!」

 右腕を飛燕の速度で横薙ぎに振るオメガカルラ。
 圧縮された風の刃がヒュンッと空気を裂いて、上空より襲い来る白い仮面の『闇巫女』に放たれる。
 
 ズパンッッ!!!
 
 仮面が、飛んでいく。
 胴と離れた首が鮮やかな断面を見せながら、ギュルギュルと回転して彼方へと転がっていく。
 
「なッッ?!!」

 驚愕の声を洩らす風天使があとずさるより早く、魔の手先となった巫女は一息に距離を詰めていた。
 首なしの、巫女が。カルラに頭部を切り落とされて尚、白い仮面を被っていた巫女の肉体は、その進撃に微塵の翳りもみせずに檸檬色の少女に襲いかかる。
 ガシイッッ!! 巫女の両腕が、腕ごとカルラの華奢な胴を捕える音。
 脳天を衝く激痛に、少女の背骨と内臓は一斉に悲鳴を奏でていた。
 重機のごとき、圧搾???。
 抱え込んだ風天使のスレンダーな肢体を、女性の、いやヒトとは思えぬ剛力が骨も砕けよと締め上げる。
 
「ぐああァッ?!! うぐッ・・・ぐッッ・・・こ、このッッ!!」

 勝ち気な亜梨沙の吊り気味の瞳に、たまらず走る苦悶の震え。
 その瞳が反撃を開始しようと鋭さを増した瞬間、妖魔の波状攻撃がすかさず萌黄の風天使を捉えていた。
 首なし巫女のすぐ背後に控えていた、赤仮面の『闇巫女』。
 カルラの肢体が拘束された機を逃さず、懐から取り出した梵字の書かれた呪符を忍び少女の額に貼り付ける。
 
 ボオオンンンッッ!!!
 
「ッッ!! うあああああッッ???ッッッ!!!」

 業火が、胴締めで動けぬレモンイエローの戦士を包む。
 『闇巫女』の呪術による炎で全身を焼かれ、オメガカルラの苦痛の叫びが地下異次元にこだまする。

 


 
「カルラ!」

「後ろよ、レフィア!」

 たまらず視線を目前の敵からライバルの少女に移したナイトレフィアの隙を、元歴戦の戦士たちは見逃しはしなかった。背後に音も無く忍び寄る、短刀を握った『闇巫女』。手にした刃を、ショートカットの下から覗く、白いうなじへと突き立て??。
 
 ザクンッッッ!!!
 
「あんまり、ナイトレフィアを舐めないでよね!」

 振り返りもせずに放たれたヴォルカノンの一撃は、『闇巫女』の肢体を頭頂から股下まで一直線に両断していた。
 ふたつに分かれていく、黒白の巫女。噴き出す大量の鮮血が、表情ひとつ変えない真紅の騎士に降り注ぐ。
 
「そう何度も油断すると思ったら、大間違いなんだから。殺された後も、妖魔に利用されるなんて・・・辱められるくらいなら、あたしが黄泉に葬ってあげる」

 残る『闇巫女』に相対すべく、長槍を構え直す火焔の聖霊騎士。
 対する敵もパートナーが瞬殺された動揺など微塵も見せてはいなかった。紺色の仮面をつけたもうひとりの『闇巫女』が、裾をたくした右腕をすっとあげる。壊死したように紫に変色した腕は、なんらかの呪術的処方が施されているのは間違いなかった。火焔の長槍vs呪術の腕。あの右腕さえ気をつければ・・・武術には圧倒的自負を誇るナイトレフィアにとって、同じ退魔師といえど下級ランクの仮面つき『闇巫女』は遅れを取る相手ではないはずだった。
 が、しかし??。
 
「えッ?! か、身体がッ・・・動かない?!!」

 真正面から飛び込んでくる紺マスクの巫女に合わせようとしたレフィアの肢体は、重い枷に囚われたようにわずかに身震いするだけであった。
 先程の、血かッ???!!
 真紅の聖戦衣にこびりついた、『闇巫女』の返り血。
 思えば背後を突く不意打ちとはいえ、先の襲撃はあまりに不用意な特攻とも取れた。最初からこれが狙いだったのだ。死と引き換えに、レフィアの動きを奪いにくるなんて。犠牲を厭わず、組織立った戦術は、ブリードに操られた『闇巫女』だからこその戦闘であった。低脳のイレギュラーにはここまでの連携は期待できず、また自衛本能の働く人間にここまで割り切った玉砕は容易ではない。
 敵を抹殺するためならば、命も戦闘能力もまるで出し惜しみなどしない。
 呪怨に縛られ動けぬナイトレフィア。その豊満な左胸を、紫の手がボディスーツごとむんずと鷲掴む。
 
「あぐうッッ!!!・・・・・・ご・・・ぷ・・・」

 その瞬間、レフィアを襲ったものは心臓を直接握り潰される激痛であった。
 『闇巫女』の秘奥義のひとつ“拍動砕き”。皮膚を肉を骨を通り越し、心の臓を破壊する暗殺呪術が火焔の騎士に施される。
 心臓が潰され、腐敗し、機能停止していく苦痛を、レフィアはただビクビクと痙攣しながら受け入れていく他はない。
 
「あがッ・・・・・・ぐぷ・・・・・・ゴボ・・・・・・」

 食い縛った歯の隙間から、真っ黒なコールタールのような吐血がこぼれ出る。
 呪術に動きを封じられ、心臓を壊されていく真紅の騎士。反撃不能のナイトレフィアが、グラマラスな肢体を引き攣らせながら、獄痛の海に沈んでいく。

 


 
「レフィア! カルラ! くッ・・・まさか禁術とはッ!」

 首のない肉体が動くのも、死と引き換えに血で敵を縛るのも、『闇巫女』に伝わる秘呪であり、禁じられた技であった。命を捧げ、強大な力を手にする禁術。秘伝の技を知るわけがないふたりの少女が術中に嵌ったのも無碍なるかな。しかしそれ以上に、操った者の能力をここまで引き出す妖樹ブリードの脅威が、改めてアザミの脳裏に影を落す。
 恐るべき、妖魔。
 『闇巫女』の討伐チームを配下に引き入れたブリードは、さらに手強さを増していた。勝てない。ひとりではとても太刀打ちできる相手ではない。今はまず、窮地に陥ったふたりの少女を助けねば。
 足袋を履いた巫女の脚が、苦悶に喘ぐ真紅と黄色の聖戦士のもとへ駆け出す。だが、正義の名のもとで闘っていた頃と変わらぬ知能を有する元『闇巫女』らが、易々と思惑通りに進めさせてくれるはずもない。
 アザミが数歩駆けるより先に、黒色と灰色、ふたりの仮面巫女がその眼前に立ち塞がる。
 手にする得物は薙刀と、弓矢。
 旋風のごとき斬撃と破魔矢の豪雨は、元上司にあたる黒髪の巫女に逡巡の欠片もなく降り注いだ。
 
 ドシュ! ドシュ! ドシュ! ドシュ!
 
 激戦が予想された闘いは、驚くほど呆気なくその優劣を分けていた。
 
「手の内を知る私に、あなたたちの技量では及ぶわけもない」

 ピクピクと痙攣し、肢体を硬直させたのは、今度は魔の手先の側であった。
 黒とグレー、ふたりの仮面巫女の全身にビッシリと突き刺さっているのは、極細の串状武器・千本。
 体内に存在する神経伝達のツボを正確に貫いた串は、殺意と破壊衝動に衝き動かされる操り巫女の身体から、完全に自由を奪い取っていた。
 
「その身がすでに禁術に侵されているのはわかっているわ。殺せぬなら、動きを奪うまで」

 ふたり掛かりとはいえ、実力的に劣るはずの彼女らが真正面からアザミに挑んできたのは、恐らくレフィア同様、死と引き換えに呪術で縛るつもりであったのだろう。
 他組織のレフィアやカルラはともかく、『闇巫女』の上級戦士にあたるアザミに対して、秘呪は秘呪たり得るわけがない。殲滅を回避し、身体の麻痺を狙ったアザミの攻撃は、圧倒的な実力差によって成し遂げられていた。
 硬直するふたりの巫女を尻目に、再びアザミが駆け始める。
 魔の手先に堕ちたとはいえ、元々は選び抜かれた『闇巫女』のファイター。千本による麻痺も、もって数分が限度というところだろう。そのわずかな間にふたりの戦乙女を、ナイトレフィアとオメガカルラをアザミはひとりで救出しなくてはならない。
 
 より危機に瀕しているのは・・・心臓を狙われたレフィアか?
 虚空をさまよう視線は明らかに焦点が合っていなかった。若さに弾けた肢体を小刻みに揺らす聖霊騎士に、巫女姿の戦士が一直線に駆ける。
 
「くああッ?!!」

 見えない網が、張られていたかのように。
 疾走するアザミが突如、耳を押さえて仰け反る。レフィアまであと7mにまで迫った位置で急停止した巫女戦士は、へたり込むように大地に両膝を屈した。
 
「・・・ツ、ツバキ・・・!!・・・」

 広大な地下の大地に鳴り響く、甲高い鈴の音色。
 幾重にも折り重なった高音のシャワー。シャンシャンと奏でられる格調高い響きが、アザミの耳朶を打ち、三半規管を捻り、蝸牛を潰して、聴覚から脳へと侵入していく。粗暴な虫に脳神経を食い破られていく苦痛。この音色を、そしてこの攻撃を、アザミはよく見知っていた。
 
「侵入者よ、ブリード様にその身を捧げよ」

 仮面を取ることを許された『闇巫女』上級ファイターのひとり、ツバキ。
 前回のブリード討伐でアザミとともに指揮を執った戦士は、その右手に金色の鈴が連なってつくられた神楽鈴を携え、妖樹の陰から身を現した。祭礼時に巫女が使う神楽鈴。『闇巫女』にとっては聖武具のひとつであるが、ツバキが全巫女戦士の内でも1,2を争う腕前であったことは、同僚であるアザミが認めるところだ。
 
「あなたまで・・・ブリードの下僕に堕ちたのね。もう私のこともわからないの?」

「わかるぞ。お前たちは、ブリード様の新たな“器”だ」

 数週間前のこの場所で・・・ツバキはアザミの目の前で壮絶な殉死を迎えた。
 ブリードに種を植え付けられたツバキの戦闘力は、以前となんら遜色はない。死者の脳裏に記憶は残っていなくとも、過酷な修行によって刷り込まれた術を、肉体は忘れなどしないのだろう。実力も、声のトーンも変わらぬ元同僚に、ふとアザミはあの日の記憶が幻だったのではないかと疑いたくなる。
 だが、視界に入るツバキの姿は、彼女が紛れもなくブリードに惨殺された事実を克明に教えていた。
 
 彼女自慢の黒髪は頭皮の大部分とともに剥ぎ取られていた。スキンヘッドといえば聞こえはいいが、ところどころに長髪が残った頭部は、ピンクの内肉を晒している。
 左の頬肉は抉り取られ、苔と芽吹き始めた苗草に覆われた口腔を覗かせている。数本の草は、目蓋と眼球の間からも伸びていた。
 奇妙に歪んだ四肢。神楽鈴を持つ右腕の手首は、肉を削り取られて白い骨が見えている。アザミの脳裏に蘇る、ブリードに潰されていくツバキの絶叫。黒白の巫女装束にはざっと見ただけで8つの孔が穿かれ、今は途絶えた噴血の飛沫が孔の周辺を朱色で汚していた。
 
 唯一生き延びたアザミは、『闇巫女』伝来の救命術を施され、ほぼ完治といっていいまでの回復を遂げることができた。
 しかし、この地で終焉を迎えた殉職者たちの肉体は、なんらの医療も受けているはずがない。ツバキの惨状は妖樹によって破壊された肉体の末路を、雄弁に物語っていた。
 
 哀れな。
 元ファイター、それも技術も気構えも一流であった戦士へ憐憫を寄せるのは、あるいは失礼な行為に当たるのかもしれない。
 それでもアザミは痛切な同情を抑えることなどできなかった。あまりに変わり果てた姿に。倒すべき妖魔の手先と堕した惨めさに。
 
「ツバキ・・・せめて、私の手で」

 アザミの指先で、串状武器が鋭利な光を跳ね返す。
 討伐チーム唯一の生き残りとして、アザミがすべきこと。気高き戦士たちに、安らかな眠りを。
 かつて知る顔、声、肉体、能力・・・仲間だった者を葬るのに、アザミに一片の躊躇いもなかった。
 
 だが。
 
「愚かだな。侵入者よ」

 なんという、緩慢。
 スロー映像で再現するような己の動きに、全てを悟ったアザミの意識は一瞬にして凍りついた。
 遅い。遅すぎる。千本を投げる慣れた動きが、こんなにも上手くできないなんて!
 アザミの投擲より遥か速く、神楽鈴のシャンという音色が、稲妻の速度で地下異次元にこだました。
 
「ぐあああああッ??ッッ?!!」

 両耳から錐を貫かれる激痛。大きく仰け反る巫女戦士の口から、悲痛な叫びが迸る。
 
「ムダだ。一撃目を受けた時点で、貴様の視界はぐにゃぐにゃのはず。脳が震動中では立つ事さえままなるまい。ブリード様の聖地を侵した罪は、死して償え」

「ぐああッ?!! ひぐッ・・・いぎゃああッッ!! ぐ、うぐ・・・ふ、不覚・・・」

 シャン、シャン、シャン・・・
 甲高い鈴の音が鳴るたびに、黒髪の巫女が頭を抱えてのたうち回る。
 
 『闇巫女』が操る神楽鈴の術は、脳の神経伝達を阻害し、あらゆる感覚を混乱させる。
 むろんアザミが術の効用を知らぬわけがない。だが彼女は、その威力の程を身をもって体験するのは初めてであった。妖魔を屠る呪術の威力が、これほどのものだとは。不意打ちの初撃を受けた時点で、ふたりの上級ファイターの闘いの行方はほぼ決まってしまっていた。
 
「ふん、我が鈴の呪術には悶え喚くことしかできぬか。脳髄を掻き乱される煉獄のなかで、じわじわと嬲り殺してくれよう。だがその前に」

 ゲボオッ・・・吐瀉物を撒き散らしたアザミの黒髪が、ゴトリとその上に落ちていく。
 鈴の音色で脳自体を破壊するツバキの術に、アザミの全ての感覚は混乱していた。視界はマーブル模様に蕩け、ひっくり返った胃の腑が口から逆流しそうだ。脳にズブズブと埋め込まれていく、無数の毒針。全身が業火に包まれ、同時に氷漬けにされる苦痛。あらゆる細胞が訴える痛獄の大合唱に、歴戦の退魔師は半狂乱に堕ちかかっていた。
 
 もはや、勝負はあった。
 感覚を奪われたアザミに残されたものは、ただ苦痛と死のみ。だが妖魔の眷属と化した元巫女たちは、アザミよりも優先すべき“獲物”をすでに見つけていた。
 ヒクヒクと痙攣するレフィア、そして炎で燃やされ続けるカルラに、仮面の女たちがうずらの卵大の“種子”を絶叫する口元へと近付けていく。
 
「ブ、ブリードの・・・“種”を!」

「まずはあやつらを“器”としよう。イキのいい肉体は、ブリード様もさぞ喜ばれることだろう」

 肉体を妖魔の手先と堕とす“種”は、ブリード本体のみでなく下僕となった者にも扱えるというのか。
 アザミが知る聖霊騎士の能力をもってすれば、妖魔の“種”など受け付けるわけがない。『フェアリッシュ・ナイツ』の対魔装備の確かさはガイア・シールズ内でも上位に位置づけられている。だがこの状況で、“拍動砕き”を食らい瀕死に陥ったレフィアに、“種”を拒否できるだけの力が残っているのか。同じことは実力未知数のオメガカルラについても言える。
 
「くッ・・・逃げて! レフィア、カル・・・ぐああッ?!!」

「心配する余裕など貴様にはない。さて、そろそろ八つ裂きの時間だ」

 ズボ・・・
 千本が抜け落ちる音がいくつも続く。
 薙刀を携えた黒仮面と、弓矢を手にするグレーの仮面。
 麻痺状態から脱したふたりの巫女が、アザミへの憎悪を仮面の奥の眼光に灯して、ゆらりと一歩を踏み出す。
 遅れを取った屈辱を、満足に動けぬアザミを細切れにすることで晴らすつもりであるのは、確認するまでもなかった。
 
「あがッッ・・・ぐううッッ・・・あ、頭がァ・・・お、おのれ・・・・・・」

「鈴の音に囚われた貴様に、もはや逃れる術はない。苦痛にのた打ち回りながら、なますに斬られるがいい」

 ドッ
 地を蹴る響きがふたつ続く。
 再来襲するふたりの仮面巫女。まずい。殺られる。全ての力を振り絞り立ち上がろうとするアザミの膝が、無情にもガクガクと崩れ落ちていく??。
 
 ビタリッッ!!!
 
 胃液と汚泥にまみれ、地を這う黒白巫女の前後をふたりの復讐者が囲む。
 背後に回った黒仮面の薙刀の刃は、アザミの白い首元へ。
 正面に立った灰色仮面の矢じりは、アザミの額の真ん中へ。
 絶対不可避の距離。免れぬ、死の運命。
 よもや、こんなところで。ブリード本体に一太刀も与えることなく、死を迎えることになろうとは。
 深く、昏い無念と絶望が、アザミの心を漆黒に塗り潰していく・・・
 
「落とせ。ブリード様に牙向く、愚か者の首を」

 ツバキの死刑執行の宣告を、アザミは遥か遠くに聞いた。
 
 ズバンッッッ!!!
 
 鮮血のシャワーが、地下異次元の緑の大地を、一瞬にして真紅に塗り潰す。
 頭頂から真っ二つに裂ける肢体。
 そして、鮮やかな断面を覗かせ、細切れになる肉片。
 
「なッ・・・?!」

 驚愕の声はツバキと、事態を飲み込めぬままのアザミ、ふたり同時に起こった。
 噴き出す鮮血は覚悟を決めたアザミの身体から出たものではなかった。その前後、ふたり。武具を構えていたはずの仮面巫女が、血塗れた物体に変わり果て大地に転がる。
 黒仮面とグレー仮面の巫女たちは、刹那にして死者へと還っていた。
 アザミではない。アザミは知らない。なぜ彼女らが突然の終焉を迎えたか。アザミ以外の誰が、『闇巫女』ふたりを葬ったのか。
 思いつく答えは、ひとつ。
 漂う血霞の向こう、立ち尽くす、ふたつの影は??
 長槍ヴォルカノンを構えた真紅の聖霊騎士と、烈風を纏った萌黄の風天使。
 
「レフィア! カルラ!」

 豪放なる炎の斬撃と、無数に舞った風の刃。
 禁術を施しているはずのふたりの魔巫女を、一撃にして葬った若き戦乙女たちは、凛とした佇まいで残るスキンヘッドの巫女に対峙した。
 

 


——— It continues to next phase